• ayanozプロフィール
  • HOME
  • ayanozプロフィール
ayanoz 自画像

初めまして、ayanozと申します。

・1977年3月生まれ

・性別:女

・某地方工業大学 土木工学科卒業

私のモットーは「常に新しいものを吸収する努力をする」です!

 

生まれた家は土建屋さん

1977年、東北の雪深い田舎で土木会社を営む両親のもとに生まれました。

そのとき父は28歳、母は26歳、兄は4歳。

我が家の隣は父が営む会社があり、母は赤子の私を背負って事務仕事にいそしんでいました。

そしていつの間にか同級生の名前を覚える前から「電話を取ったら会社名を名乗る」ことを覚えました。

つまり、物心つく前から「仕事」に触れてきたのです。

 

短気な父と負けん気の強い母と

昔の父は些細なことで火が付いたように大声で怒鳴る人でした。

そしてそんな父にしおらしくなることもなく怒鳴り返す母。

けんかの原因を幼い兄と私が知るわけもなく、ただ子供部屋の片隅で静かに泣きながら騒動が収まるのを待つだけでした。

そんなわけで自然と親のご機嫌取りをするようになり、子供の頃はあまり反抗しないように心がけていました。

 

自然と土木建築に触れて育つ

会社は自宅に隣接しており、学校から帰宅後は毎日母のもとへ 顔を見に行っていました。

そのため、土木や建築の機材は常に手元にありました。

測量に使用する「レベル」は小学生から望遠鏡代わりに使用して、毎日海や山を眺めていました。(いや、望遠鏡が欲しいって言ったら、レベルを渡されたんですけどね。)

父親の操縦するパワーショベルにも同席してました。(これは今考えると違反です)

会社に営業に来る他社の人に何しに来たのかを馴れ馴れしく話しかけたり(何様ですかね。)

そうしてすくすくニョキニョキと平凡に成長し、学校と会社にちょっと顔を出す以外は、田舎すぎて何もやることがないのでチラシの裏に絵を描いて過ごすようになりました。

 

高校での進路でいきなり「工業大学」を進路に

特に勉強もスポーツも平均以下のさえない日々を過ごしてとうとう高校生になり、いきなり将来の進路を考えろと言われました。

進学か就職か。折しもそのころはバブル崩壊の影響で求人が減少です。

とりあえず進路はみんなが選んでいる地元の短大にして、また何となくボーっとしたままとうとう高校3年生に進級した頃。

「進路、特にやりたいことがなければここに行ったらどうだ?」と、めずらしく父が進路について話してきました。

それは県内の工業大学。

土木工学科があるので、卒業すると国家資格の取得がスムーズになる、と。

父は私を自分の会社で働かせたいようでした。

しかし特になりたいものがない…いや、なりたいものはあったんですが、「漫画家」になんてなれるわけないと思っていました。

この時代は絵ばっかりかいてもお金にはならないという風潮でしたから、父の言う通り地元の工業大学へ進路をシフトチェンジしたわけです。

 

幸運にも指定校推薦で合格

成績はそのころ中の下でした。(英語が劇的に悪かったです。)

希望進路である工業大学は各高校に1名だけ「指定校推薦」の枠を設けていました。

それに志願しましたが、他に成績の良い子が希望すれば枠はそちらへ行ってしまいます。

「どうか他の子が志願しませんように」と毎日神に祈りました。(いや、祈るくらいなら万一のために受験勉強すればいいのに)

そして他に志願する子が現れることもなく、私は運よく指定校推薦を受けられることになり、トントン拍子で合格→入学という運びになったのです。

 

何も知らない何もできない無能さを発揮

そして晴れて地元工業大学の土木工学科の学生となったのですが、早々にショックを受けました。

まわりの学生は工業高校を卒業した人ばっかりで、知識に長けていたのです。

そんなみんなの中で、私はまるで体の大きい赤子同然でした。

あれだけ幼少時に慣れ親しんだはずのレベルを据え付けるのも一苦労。(測量機据え付け試験で再再再再再試くらいまで行きました。)

教科書の内容はちんぷんかんぷん。(コンシステンシーとかトラフィカビリティってよく分からない…。)

今までの教科書をひたすら暗記すればよかったような勉強では歯が立たず、成績は下の中に(受講態度や提出物でかろうじて評価を貰えていた。)

勉強って、できないと楽しくなくなるものです。

まわりは男子だらけで他の学生とのコミュニケーションもうまく行かず、そんなとき同じ下宿の建築工学科の女子学生のもとへ用事があって教室に行ったら、私の目に入ってきたものは「建造物の絵」でした。

 

建築工学科に行けばよかったと後悔

授業でパースを描く練習をしたのもそう。

宿題で色々な建造物をスケッチもするのもそう。

そちらの方が私がやりたかったことのように見えました。

どうしてもっと自分で学校のことを調べておかなかったんだ。

しかし後悔先に立たず。

仕方ありません、もう入学してしまったあとなんですから。

それからはなるべく現実を見て、土木工学の勉強に集中することにしました。

 

製図で教授に評価される

工学部なので製図の講義もありました。

昔なのでCADというものは無く、すべて手書きでした。

見よう見まねで書いてみたら、結構な高評価を貰えました。

昔から絵を描くのが好きだったので、自然とそれが役に立ったようです。

それまで入学してからひしひしと「自分はできない人間」と思い込んでいましたが、「私にも評価されるところがあったんだ」と本当にうれしかったです。

 

卒業後の職務経歴

土木会社(実家)に就職

大学卒業後、実家の会社で3年勤務し、その間に2級土木施工管理技士を取得しました。

経験業務は治山、治水、護岸工事など。

ここで材料手配、コンクリートの扱い、現場監督の補佐(という名の雑用)を体験しました。

(女性なのであまり力のいる作業はできませんでしたが)

その後、大学時代に知り合った彼と結婚のため関東に嫁ぎました。

すぐに妊娠したため、しばらくは無職に。

しかし出産後、夫が病気で無職に!

仕方がないので代わりに正社員で仕事を探すことになりました。

水道管工事会社に就職

2級土木施工管理技士を取得していたのが評価され、水道管工事の会社に採用されました。

ここでは5年業務に従事しました。

ここでの主な業務は入札案件の水道布設や冷暖房などの管工事。

この会社は父の会社と違い、IT化が進んでいました。

官公庁の入札はすべて電子入札で、施工中も完工時もほぼデジタル。

それに在庫管理や片付けなどの雑用も担いました。

ここで配管材料(塩ビ管や水栓)、冷暖房設備について知る事ができました。

しかし、社長が病に倒れて業務が悪化。

申し訳ないが他に仕事を探してほしいと言われ、泣く泣く退職することに。

錠前会社に就職

小さい子供を抱えての正社員の職探しはなかなか難航し、その間はパートでつないでいました。

そして次に採用されたのは、錠前会社、カギ屋さんです。

ここはとにかく激務。

駅前にあるカギを作るお店が会社になったものかと思っていたら、関東のほぼ全てのマンションのカギを扱っていたものですから、毎日どこかしらのマンションからカギ交換の依頼が舞い込みます。

入居、退去のたびにカギ穴ごと錠前を交換するので、在庫も切らしてはおけません。

ここでカギのしくみと性質についてじっくり学ばせられ…もとい学ぶことができました。

しかし、私への上司の当たりが強く、胃を壊してしまって1年ほどで退職しました。

建築リフォーム会社に就職

またパートでつなぎながら職探しをして、次は人生のターニングポイントともなる建築リフォーム会社に採用されました。

ここでは7年勤務しました。

小さな会社で社長自ら現役で現場で指揮を取っていました。

ここはとにかく「できることは何でもやらせる」会社でした。

ここでの私の業務は、書類作成、電話来客対応、事務一般、会計、チラシ作成、材料手配、施工説明画像作成、CAD、現場作業手伝い及び片付け、会議議事録及び司会進行、営業補佐、ホームページ更新業務、下請け業者への工事手配…などでしょうか。

とにかく人手も時間も足りないので、比較的体が大きく力もある(身長164cm)私はあれこれやらせるのに都合が良かったのでしょう(笑)

実際、苦しいことも多かったですが毎日充実していました。忙しかっただけというのもあるかもしれませんが。

ここでは私が「こうしてみたらどうか?」という意見を社長がすんなりと受け止めてくれたのです。

発注したものがいつ届くか納期を把握しておいて、毎日搬入される部材や材料を各現場ごとに振り分ける。

各工事ごとに利益を出して各営業担当へ提示する。

また何でもかんでも命令されるので、建築部材にも住宅設備にも詳しくなりました。

入社したころは巾木が何のことかもわからなかったのに、材木の木種にすら詳しくなりました。

特に水まわり製品は、チラシ作成のメインでもあるため各社の性能を必死で網羅しました。

また、CADやPhotoshopなどのソフトも独学で覚え、会社のこれからの発展に貢献しようと意気込んでいたその時。

突然の父の死

父はガン発覚から1年も経たずに旅立ってしまいました。

私も母も兄も、心の準備ができないままでしたので、心にぽっかり穴があいて塞がらない。

そして私は同時に、夫とも家庭内で問題を抱え、別居するという選択をしたのです。

 

土木と建築両方できる人は最強

母と話し合い、子供と2人で地元の近くに転居することを決めました。

そのためには今の会社を退職しなくてはいけません。

辞めたくはない。せっかくここまでできるようになったのに。

ようやく自分はこれで身を立てると決めたのに。

それに子供も転校させなければいけません。

「これが母親として正しい選択なのか?」

心苦しいまま、社長に事情を話して退職の意思を伝えました。

ありがたいことに引き留められました。

せめてもう1年だけでも居てくれないかと言われましたが、子供が引っ越した先の環境に少しでも早く慣れさせたいこと、また別居する夫が今にも何かをしでかしそうなほどになっていて事を急ぐ必要がありました。

「本当に申し訳ありません。」

と頭を下げて、退職が決まったのです。

ところでこの会社には、総務を担当していた高齢の女性がいて、何度も助けてもらっていました。

この人はかつて大手ゼネコンで女性ながら第一線で働いていました。

退職する最後の日に挨拶をすると、

「土木と建築の両方を知っている人は最強になれる」

と言われました。

私が今の仕事にやりがいを感じていたことも、元々は土木を専攻していたことも、いずれ建築士を取得したいということも知っていたので、そう言ってくれたのでしょう。

その言葉は今も胸に残っています。

私が幼少より触れてきた土木の世界も、大学で悩みながら学んだ日々も無駄ではない。

・・・そしてその思いが、今の私を作っています。

私が人生で得たものがいつか実を結び形となって、私が一番やりたかったこととして目の前に現れる時は今なのではないかと思い、このブログを立ち上げました。

 

取得資格

・平成12年2級土木施工管理技士取得

 

現在は2級建築士、1級建築業経理士の取得を目指して目下勉強中!

平日は仕事なので記事のアップは不規則ですが、DIYを始めようかなと思っている方になるべくわかりやすい記事を心がけます。

ここまで長文を読んでいただき、ありがとうございます。

よろしくお願いします。